Text Size : A A A
Img_326a07c2884868d36e9cce54eacb221d
酒井順子さんのエッセイ「都と京」(みやことみやこ)を読んでいる。
東京と京都の文化比較が主なテーマで、
題材はグルメに大学、旅にお土産、言葉など様々だ。

具体的な人名や出来事が旬ではないので奥付を確認したら
「あら10年前の本なの」と意外に思うほど、
語られた内容は古びていない。2016年の今に、じゅうぶん通じる。

日本の人は狭い国土内の、
県民性や街の特性の違いを語ることを好む。
そういうテレビ番組も人気がある。

千葉で育った私には、東京都を挟んだ
千葉と埼玉の県民同士の意識の張り合いが理解できるけど、
北海道民からしたら「どっちもどっち」だろう。

五輪メダリストのインタビューには名前と年齢に、
出身の都道府県が添えられていて、私と夫はそれを見て
「静岡っぽい」「なるほど青森生まれのガッツ」などと話題にする。
しかし海外の人からしたら、くくりは「JAPAN」だ。

話題にすることがあるかないかは知らないけれど、
外国の人にも同じ感覚はあるような気がする。

国土がビッグな分、差も違いも広がりそうなアメリカで、
生粋のニューヨーカーがケンタッキー出身者を
「いなかもの」と軽んじるシーンは、映画とかに出てきそうだ。

ロンドンやパリで、通りのどちら側に店を開くかで
雰囲気や客層に違いができそうだし、
中国料理は四川と広東で全く味が違うと聞く。

外野からしたら同じようなものでも、
内輪にとって「いやいや全く違うんだよ」と
言いたくなることはある。

土地の個性だけでなく、歴史や宗教、思想にまで広げたら
もう収集はつかないだろう。

「関東の都道府県の区別が...」と仰る大阪在住のcachariさんに、
神奈川や千葉県内の都市の位置づけを説明しようと苦心し、
じょうずにできなかった経験から派生して、色々なことを考える。


「都と京」酒井順子 2006年9月15日発行(新潮社)
子どもの習い事の体験教室に行った。

周囲には習い事を掛け持ちするお友だちもいるけれど、
我が家は一つもやらせていない。送り迎えするのが面倒、
だらだらする時間を与えたいとの理由から、消極的でいる。

親戚に、子の才能を見つけて伸ばしてやるのが親の務めと言われ、
才能とは、摘まれても踏まれても伸びる芽ではないのかと、
心の中で口答えしていた。

成功したスポーツ選手の親御さんの尽力話を見聞きし、
有名大学に進学できるのは母親次第と言われると、
もう後ずさって逃げたくなる。そこまで責任もたなきゃダメ?と思う。

昨年末だったか、主人の友人が娘と遊んでくれていたとき、
「体が非常に柔らかいから、習い事させたら?」と勧めてくれて、
重い腰をじわじわと上げ、今回の体験教室に至った。

そしたら本当に、娘は柔軟性が高かった。
体型的にも向いている言われ、そうなってくると親にも欲が出る。

体験を終えて帰る道すがら、またやってみたいかと娘に質問したら、
「えーもういいかなー」という答えが来て、
向いているならもったいないかも!と思ってしまった。

才能と言えば近所のお子さんで、すんごい持ち主がいる。
齢3才、耳で聞いただけの曲を、鍵盤上で右手と左手に分けてコピーできるのだ。
誰にも教わらず、自分だけの力で。

我が家のオモチャのピアノで、その子が唐突に弾き始め、
お母様からその話を聞いたときは、私に鳥肌がたった。

後日、そのお母様が、ピアノの先生をしているママ友に、
習わせた方が良いのかなと相談している場に居合わせた。
ピアノの先生は、「やっぱり好きじゃないとね」言った。

たぶんその言葉には、「才能よりも」という前置きがあった。
伸ばせるものなら伸ばしてやりたいのが親心だけど、
伸びるかどうかは、やっぱり本人次第なのだ。

大人の私には、あるていど子供たちの向き不向きや好き嫌いが見える。
向き不向きと好き嫌いは必ずしも比例しないのが難しいところだ。

医者になる以外の勉強はせんでいいと徹底したという、
西川史子女医のお母様ほどの徹底っぷりを、私は到底持ち得ない。
「ちょっとやってみたら?」と軽くプッシュをするに留めた。

バックミラー越しに見た娘は、すでに違うことを考えている表情だった。