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ご無沙汰しておりますが、元気です。

あれ書こうかな、これ記録しておきたいなと日々の生活で思い付くも、
ブログから、文章を書くことから遠ざかっている。
カナさんもおっしゃるように、「書く」分野の筋肉が使われず、衰えを感じます。

文章を書かずとも生きていけるけれど、ときどき、
以前、「君の中から言葉が出たがっている」と人に言われたことを思い出す。

例えば車を運転しているとき、台所でキャベツを刻んでいるとき、
子どもたちの寝顔を見たとき、心が動いた瞬間に、
体の中で「記したい何か」がうごめくような気がする。

書かなくても人生は楽しいけれど、
私にとっては捨てがたい衝動なのだろう。
時間を作ろう。
今年は子ども関係の役もないので時間ができた。
そこで、結婚したとき新居に詰め込んだままの荷物を整理する大掃除と、
たるんだ身体を何とかすべく、軽いジョキングを始めた。

大掃除では、今までにもらって、処分できなかった手紙類も出てきた。
1枚1枚、目を通していては進まないので、
封書の中身を取り出して外装は捨て、かさ減らしをした。

私はマメなたちではなく、ふだん、人とメール等をやりとりする回数も少ない。
長い付き合いの友人とは、1年に1度、連絡をする程度だ。
類は友を呼ぶで、周りに残ったのは似たタイプと思っていたけれど、
それは思い違いだった。

高校時代に仲良くなって、いまも交流がある友人とは、
離れて過ごした大学生活や社会人になりたての、
まだ携帯電話がさほど普及していなかった頃に、
手書きの手紙をやりとりして、それが残っていた。

私の手元に意外なほどの数があるということは、
相手にも自分が思う以上に書き送ったのだろう。
単純に、なんとなく似たタイプだから友情が続いている訳じゃない。
ちゃんと気持ちを持ち寄って、表し合って、距離を保ってきたのだ。

人間関係を表現する際しばしば使われる、
「空気みたいな」が成立するには、
裏側にどれほどの細やかな積み重ねが必要だろう。