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今朝、夫が寝室から居間に起きて来て、
さっきまでお雛様が鎮座していた場所がかたづけられているのを見て、
すばやいなぁ、という表情で小さく笑った。

たまたま早起きできたから仕舞えたのだが、
実家から譲り受けた雛人形を箱に納めながら、両親の気持ちを思いやった。
母も日が明けると、いそいそと片付けていた気がする。

女子の幸せもそれぞれで、結婚ばかりが実りではないと思っていても、
まだ薄暗い中、せっせと私は作業を進めた。

昨日、FRaUに掲載された山口智子さんのインタビューを読んだ。
そんな騒ぐほどのものではなかろうと感じた。
子供を望まないうんぬんより、ご主人の名前を挙げ過ぎでは?と突っ込んだ。

夫婦でがっちりスクラム組めていると念入りに押し出さずとも、
このインタビューに答えること、載せることを受け止める度量があるというだけで、
ダンナ様の器の大きさと、夫婦の良好な関係が分かるから。

私は、母から「女の幸せは結婚」という圧力を受けて育った。
結婚して家庭に入った今、その後に「だけじゃない」という言葉をつけて、
娘に手渡して行けるかと考える。

もうすぐ4才になる娘が30歳くらいになって、
ダンナも子供もいらない、あたしは一人で楽しく生きていく!
と明るく言い放ったときに、「孫の顔...」とかゴネないか?65歳の私。

私の人生も、そのときに色々と問われそうだ。
がんばろ。
先週、息子が幼稚園を卒園した。来月からは、ピカピカの1年生だ。

卒園式の1週間前に夫がインフルエンザにかかり、
感染しないよう警戒態勢を取り、緊張の糸を張りつめた日々が続いた。
卒園式の朝に寝ている息子の額を触り、発熱せずの確認をしたときは安堵した。

私の母方の家系はクリスチャンで、亡くなった祖父や、おじ達は牧師だ。
母方の親戚で信仰を持っている人が家へ遊びに来ると、必ず食事前にお祈りをした。
今日の糧を与えてくれた神さまへの感謝で始まり、
「アーメン」で終わるお祈りが、信仰のない私には苦手だった。

殺されたお肉や野菜の立場はどうなんだいと、ひねくれたことを考えたり、
その場にいない兄弟の無事も祈るときは、
今日は長いなぁ早く食べたいなぁと思ったり、はなはだ不真面目な態度だった。

でも、卒園式に出掛ける準備をしながら思い出したのは、この食前の祈りだった。
今日の、このよき日を迎えられることを、誰かに、何かに感謝したかった。
無事に大きくなり、卒園式まで病気せずに済み、ほんとうにありがとうと。

出席した卒園式と謝恩会を通じて、子供は親だけで育てるんじゃないと痛感した。
家族や親族、園や課外の先生方、幼稚園バスの運転手さん、他の保護者、地域の皆さん、
関わりの大小はあれど、どれも必要で、かかわり合っている。

規模を広げれば食べ物とか自然とか、お天道様に地球に、
たぶん目に見えないかみさまのようなものも。
どこに向かって手を合わせれば良いか分からないけれど、心からの謝意を表したい。

ありがとう。
私も、この巡りめぐる輪の中の一つとして、
何かしらの力を発揮し続けたい。