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乱歩の小説を読んでいて、何度も出てくるのに最後まで、
読めないし意味が分からない言葉があった。
先ほど辞書を引いて、あら恥ずかしい。知っている現代語だった。

最近の本は読みが難しい漢字はひらがな表記にしたり、
ルビを振ったりしてくれるので、
読めないことも、後で調べたりすることも少ない。

でも子供の頃は背伸びした本に手を出して、
分からない文字も何となく意味を想像して、
ちゃんと辞書を引いたり大人に質問したりした。

ときには「読めないけど親に聞いたらマズイ気がする」と当たりも付け、
ただ物語りを追う以上に脳みそを使っていたのだ。
親切すぎる本は、学ぶ上では不親切になる。

それに、漢字をひらがな表記にすることで、
読めるけれども作品の雰囲気が壊れたり、
意味を汲み取ろうと集中する妨げにもなる。

映像で示せば、語ることも無く表現できる。
でも、その単語が使われる多くは相手を貶める場面なので、
言っている人物の感情が量られる。

映像で分かり易く示せば、そういう情報は削がれてしまう。

久しぶりに、ずっしり重い広辞苑を持ち出して
あれかこれかと考えながら調べる時間が楽しくて、
分かる瞬間がちょっと残念かもなと思った。

こういう感覚は、私が言葉に触れるのが好きだからなのだろうか。
分からないことが面白い、追究しようとする気持ちは、
きっと誰の中にも眠っているように思う。
幼稚園の保育参観で、息子たち年長さんが
「おー・ぱっけらまーど」と大きな声で歌っている様子に、
思わず目尻が下がり口元が緩む。

しかし頭の片隅に、しゅうだんてきじえいけん とか、
ねんきんもんだい・・・などと言うワードが浮かんで、
ちょっとだけしんみりもする。