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借りた本を返して施設を出ると、向かいの道路にある
レストラン前にいる、知り合いのお母さん方を見つける。

わあ!である。

出掛ける前に、そのうち一人のお母さんについて、
別のお母さん方とラインで話題にしていたので、
私にとっては、二重の意味で「わあ!」である。

駆け寄って少し話をして、用事のあった私は、そのまま別れた。

車のエンジンをかけた後、「神様って、ぜったいいるよな」と思った。
守ってくれるとか、導いてくれるとか、私にプラスの作用をしてくれるだけでなく、
はるか上から駒である「私」を眺めていて、面白がったり試したり。

してるでしょー?
と、友達に笑いかけるような気分になる。

同じ町内で、子持ちとして同じ時間帯に自由時間があるから、
出くわす可能性は高確率だ。
それは分かっているけれど、すれ違う瞬間が3分違っていたら、
あれが開店3分前でなかったら、互いに気づかなかった。

人生において時おり、もっと重要な場面でも、
こういう神様の存在を感じることがある。
私は、人の運命は、ある程度、決まっているような気がしている。

でも、決まった中で、どう動くかによって、
先に用意された「決まったこと」が変わっていくとも気づいている。
運命の導きの数々を、私はこの先も打ち返す。
なるべく神様と私が、面白がれるような方向に。
ラジオ日本「タブレット純 音楽の黄金時代」をラジコで聞く。
「人の名前が出てくる曲」が選曲テーマで、
「港のヨーコ ヨコハマ ヨコスカ」や、長渕剛の「順子」などが流れる。

私の本名は、たいへんよくある名前なので、
2時間ちょっとの番組を昼寝しながら聞く間に2度、
歌の中に登場した。

1曲目が、中島みゆきの「あの娘」、
そして次が坂本九さんの「あの子の名前はなんてんかな」だった。

よくある名前だから、やはり出るなぁと特別に感情もわかないけれど、
坂本九さんの曲では、自分の名前の後に、
Tちゃんの名前が続いて歌われたので驚いた。

驚いた後で、実際の場面とは順番が反対だなと、
彼女との出会いを振り返った。
高校2年のクラス替えで、五十音の出席番号で前後の席に着き、
私たちは親しくなった。

彼女の命日は1週間ほど前だ。
数年前から毎年、桜の開花が近づくと、命日のことを思い出す。
来年の咲き始めの頃にはきっと、
九さんの「あの子の名前はなんてんかな」も思い出すだろう。
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名所に行くのも良いけれど、
近所の桜の変化を見守る楽しみもある。
娘と散歩した公園には、満開を迎えた木もあった。

最近、子育てというより、もう人育ての域だなぁと感じる。

上の息子が2年生、下の娘が年長組に進級し、
感情は豊かで複雑になり、交わす会話も高度になり、
次第に幼さが抜けてきた。

姿かたちも、ほっぺの下ぶくれなラインもすっきりとして、
私がマニアックに好んでいる、おでこの柔らかな肉づきも、
いずれはシュッとして硬くなる。

そして、たぶん、ふと気が付いたらヒゲが生え、
茶髪になったり色気づいたり、反抗期を迎えて通過して、
すっかり人間が出来上がっているのだろう。

一緒に公園を散歩する機会は減る、もしくは無くなる。
親と同じものを見て、同じことに喜び悲しむのではなく、
己で得た友人たちや恋人と時間を共有するようになる。

それはもちろん、親にとって喜ばしいこと。
何事にも終わりや限りがあるからこそ、
いまをいとおしむ気持ちが湧くのだから。

でも、「いっしょ」の残数に思い至ったら、
今年の公園の桜は、なんだか目にしみるなぁ。
今朝、息子が、ものっすごく面白い言い間違いをした。
これは日記に書き残そう!と思っていたのに、
夕飯を済ませた今、それがどんな言い間違えだったのか、全く思い出せない、
ということに気がついた。

ああああああ…悔しい!



後日、思い出しました。

給食の献立表を見て、「赤飯」を「赤い飯」と言いました。
思い返しだとさほど面白くないけれど、
聞いた瞬間は、そうよ赤いご飯なのよ要するに!と笑えました。

それ以外にも、看板を見て「大空駐車」も読み間違え。
正しくは「青空駐車」であるけれど、大空でも可ですよね。
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私の漫画ブームが再燃した。

漫画で育った私だけど、いつの頃からか漫画から離れた。
最近は、好きな作家さんの作品を惰性で買うだけにして、
たまに近所の奥さんから流行りの漫画を借りていた。

ところが、漫画家の製作現場に密着する、
NHK番組「漫勉」を観て、矢も盾もたまらず書店に走り、
漫画を買い込んで、という程の量でもないけれど、帰宅した。

先日の「漫勉」は、清水玲子さんだった。
ネット上でも「どえらいのキター」と騒いでいる人もいたし、
私もこども時代に憧れた作家の登場に、テレビ欄の文字だけでゾクゾクした。

私は、読み込んだ時代の作家さんなら、
髪の先の絵だけで誰の筆だか見分けられると思う。

あんなに素晴らしい絵を描く清水先生が、
紙を表に返し裏に返して下書きにてこずり、
ミクロ単位の修正を繰り返して理想に近づく様に、
涙が出そうだった。

自分がうっとりしたインクの線は、あんな風に生まれていたのだ。

むかし、小説家の宮部みゆきさんが、
「自分の作品は漫画化だけはしたくない」と言うほど、
表現手段として漫画に嫉妬している記事を読んだことを思い出す。

物語を語る絵のある漫画、
物語のためだけでなく、絵そのものも味わえる漫画...

漫画が盛んな所という点においては、ニッポンに生まれて良かった。
と、言いたい。
書店のレジに並んでいると、前のお客が目に入った。
グッと前に出る態度と口ぶりで、店員に何やら話しかけている。
店員の背後には、数日前に発売された村上春樹さんの新作ポスターが貼られていた。

大きな紙袋を受け取った前のお客は、
「村上春樹っていうのは、そんなに才能があるのかねぇ」
と言い、店員の曖昧な笑顔に送られてレジから離れた。

そんなに良いのかねぇ、でもなく
そんなに面白いのかねぇ、でもなかった。
才能、という言い方に含みを感じ、印象に残った。
84歳になる父に予定をたずねたら、
「その日はDSだ」と答えが返ってきた。

私が両手でピコピコする仕草で首をかしげると、
「デイサービスね」と父が言い直した。

オウ、イエイ。